マチュピチュ

マチュピチュ




  フランスシスコ・ピサロはカハマルカで捕らえた第13代皇帝アタワルパを処刑後、第11代ワイナ・カパック
の子マンコを傀儡皇帝に立てた。マルコは従順を装いながら機会をうかがい、ピサロが新首都リマに去ると、クスコか
ら脱走してウルバンバで挙兵した。以後、マンコとその跡を継いだ3人の皇子は、アンデス山中の謎の都ビルカバンバ
(ビトコスともいう)を本拠に、36年にわたってスペインの勢力に抵抗を続ける。








  しかし、ついに1572年、最後の決戦に臨んだマンコの末子トゥパック・アマルーがスペイン軍に捕らえられ、
帝国再興の夢はついえたそして、彼らの都ビルカバンバの所在地も明らかになることはなかった。
  ハイラム・ビンガムは、マチュピチュこそビルカバンバであると考えたが、さらに奥地のエスピリトゥバンバが
それだと唱える学者もいる。マチュピチュがいつどのように構築されたか分からないが、平時の都市ではなく、
インカのアマゾン進出の基地であったことは間違いあるまい


























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