ペルー

ペルーの史跡の旅


世界の史跡紀行
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クスコ


リマから空路約1時間,アンデスの山塊が間近に見える頃,眼下に赤い屋根の家並みが広がる。標高3300mあまり。インカはなぜこんな高所の盆地に首都を定めたのか。
インカ帝国がアンデスに君臨した15世紀半ばから1世紀にわたり,クスコはその首都として繁栄を極めた。エル・ドラドの夢にとりつかれたフランシスコ・ピサロによって1533年,13代皇帝アタワルパが処刑されクスコは征服者の略奪と破壊を受けた。現在のクスコはスペイン人が築いたものであるあるが,建築物の土台にインカ時代の堅牢な石組みが見られる。



オヤンタンボ


クスコから約70Km,切り立った山の斜面に築かれたインカの要塞後。クスコの方角を向いて立ち,頂からはウルバンバ の谷がひとめで望める。15世紀の半ば,帝国の領土が飛躍的に拡大した第9代パチャクティ皇帝の時代に原型が造られ, こくでクスコに出入りする人々を監視したといわれる。帝国滅亡直後,インカ軍が立てこもってスペイン軍に最後まで抵抗した場所である。



マチュピチュ


1911年7月24日の朝,クスコから100Kmあまり離れたウルバンバの谷の険しい絶壁をひとりのアメリカ人青年がよじ登って行った。 彼の名前はハイラム・ビンガム。アンデス山中にインカの謎の都ビルカバンバを探し求めているとき,土地のインディオから,ワイナピチュ峰 の麓に遺跡らしいものがあると聞かされたのだった。やがて,ビンガムの視線に忽然と石組の階段畑の列が飛び込んでくる。    この発見の後,1912年と1915年に大がかりな発掘調査が行われ,長い眠りから覚めたマチュピチュの存在は,一躍,世界に知れわたった。 「マチュピチュ」とはケチュア語で”老いた峰”を意味し,遺跡の後方に見える山は”若い峰”を意味するワイナピチュ。遺跡はこのふたつの山 をつなぐ尾根上に広がっており,”空中都市”と呼ばれるのは,深い峡谷で,谷底から見上げても何も見えず,宙に浮いているイメージのためだ。 はるか下方をウルバンバ川が蛇行し,しみじみ,よくぞこんな所にという気にさせられる。




プーノ


プーノはペルー南部,アンデス山系の中央に位置する標高3855mの高原都市だ。町はティティカカ湖Lago Titicacaに面して開け,湖をはさんで 隣国ボリビアと向かい合っている。船舶が航行する湖としては世界最高所というティティカカ湖は,面積で琵琶湖の約12倍にあたる湖である。




ナスカ


有名なナスカの地上絵は、リマの南約450q、海岸地帯のナスカ・パンパと呼ばれる砂漠の中にかかれている。1939年にアメリカ人のポール・コソック博士が飛行中に発見して以来、誰がいつ何の目的で描いたか、さまざまな仮説が立てられたが、真相は謎に包まれたままだ。遊覧飛行で空から地上絵を目の当たりにすると、宇宙人が描いたという説さえ真実と思えてくる。小型飛行機に弱い人は困りますが、大変親切に色々な方向から見せるように飛んでくれました。






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