山中一揆

<山中一揆>


 享保十一年(1726年)の秋から翌年にかけて、時の津山藩の過酷な圧政に堪えかねた藩全域の農民によって繰り広げられた一揆を「山中一揆」という。山中というのは広義には美作一円の呼称と解くすむきもあり、一般的には湯原町を中心とした旭川上流域を指して呼び、この一揆が山中一揆といわれるのは、先頭に立って指導的な役割を果たしたがこの地方の農民であり、藩が一揆を鎮圧するために集中的に山中に軍勢を投入したことによる。山中一揆は幕藩体制解体初期の全藩的一揆の代表的なものといえる。この一揆の指導者は牧の徳右衛門見尾の弥治郎たちで、久世の大旦芝に4,000人ともいわれる農民を集結させ、藩の代官との数日間におよぶ交渉の中で、年貢の一部免除、四歩加免の免除、村役人の罷免などを藩側に認めさせた。しかし、やがて藩は武力鎮圧にふみきり強大な戦力をもって山中に進入し、指導者を始め参加者の主要な者は打ち首などの死罪になり51名もの多くの犠牲者を出した。




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