旧湯原町建造物旧町指定文化財
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旧記・口碑(いいつたえ)などによると寿永4年(文治元年−1185)式内社神宮寺としてこの地に健立、次いで順和、応永、文明、慶長
(〜1600年代)と造営され、仁和寺の管轄下で八社宮の社務を統括したといわれる観音堂で、元は往時八間四方であったのが、慶長年間寺領
の減少により現在の方四間となっている。
柱材等健立当時の素材といわれ、本道内陣の本尊聖観音の厨子の両側にある四天皇佛、天の邪鬼は奈良期末の製作と推定され、岡山県下の
木造佛では最も古いものとも言われ、破損されていなかったら国宝、重文に匹敵する貴重な遺産としての評価が高い。
場所:真庭市社651堂屋敷
旧湯原町の東端にあって苫田郡富村(旧布施庄)と隣接する社の地には、延喜式(延喜五年〜康保四年−904年〜967年施行)の
神名帖に美作国内11社の内8社が集中して存在し、式内八社宮(布施八社)と呼ばれ現在に至っている。字本谷の刑部・左波良神社、
宇和佐の二宮に莵上、壱栗、大笹(合祀)、久刀、長田の五座、当地横見神社がそれである。
莵上神社の祭神第彦王命、佐波良神社の祭神佐波良命は共に平安遷都に功のあった和気清麻呂の高祖と伝えられ貞観年間(860年代)
従五位上、従五位に叙せられている。
場所:真庭市社本谷・宇和佐(佐波良・刑部神社)
旧湯原の鉄(たたら)生産は遠く古墳時代から(300〜570年頃)に、さかのぼるとの説もあるが、長年月にかけての砂鉄流しは
大きな地形の変化をもたらし、地中に埋っていた巨岩さえも日の目に晒してしまう。八畳岩はその証のひとつとも見放される。
又、式内八社宮の存在は、鉄生産による古代文化の繁栄を後世に傳え、千年杉はこうした歴史の盛衰の姿を見えすえながら育ち生存えてきた証人と
思えば、観る人の夢をかきたてて充分であろう。